夜明けの…
最近の僕は、かなりおかしい。
余りにも極度の情緒不安定だ。それも特定の人物……
率直に言えば江神二郎という人と視線が合っただけで。
こんな有栖川有栖を僕は知らない。寧ろ、知らずに居た
かった。
きっかけは珍しく江神さんの奢りでEMC一同泳ぎに行っ
た時の事だ。
「江神さん、何ですんそれは?」
信長さんの叫び声にふと視線をそちらにやると…確かに
叫び出しそうな格好だった。江神さんが裸体に纏って居
たのは、白きも白き褌だったから。
「ここ最近はずっとコレ。ノーパンでジーンズ穿いとったら
見事に挟んでしもてな。コレやったら線の崩れも少ないし」
「確かに、あの持ち物やったら肯けますが…」
モチさんのツッコミもごもっとも。春に合宿をして、男連中で
風呂に入った時お互いの持ち物は確認済みだ。確かに、
江神さんの持ち物は立派だった。
そして更衣室を出るとマリアの歓喜の叫び。
「江神さん、男前過ぎ!」
何でも実家の男性陣が褌を愛好していて、嫌な所か好まし
く思っていたそうだ。乙女も見かけにはよらない。
問題はここから。
僕はもう既に江神さんの一糸纏わぬ姿を見ている。それも
克明に、だ。僕がそういう嗜好を持つ人種だったとしたら、
その時点で既に自覚が在った筈、なのだ。
にもかかわらず。
僕が少なからぬ性的興奮を覚えたのは、江神さんの褌を
締めた下半身の記憶だったのだ。
それを自覚してからというもの、江神さんと普段接している
時でもふとした拍子で情緒不安定になってしまう。
僕は、江神さんとどうなりたいと言うんだろう。その感情の
発生源を考えると少し憂鬱になる。
憧れの転化が偶々褌姿で発覚した、と言うのなら一笑に
伏せる事が万一可能かも知れない。でも、只の肉欲の表れ
だとしたら…?知られる訳には行かない。特に本人には。
「アリス、話あるんだけど、いいかな?」
マリアに呼び出されたのは、今日の昼間の事。
「何なん?倫理のノートの事?」
「違うわ、江神さんの事。…好きなの?」
思わず辺りを見回す。幾ら人気が少ないといっても大学の
構内だ。誰が聴いているか判ったもんじゃない。
「藪から棒やな?男同士やで、俺等」
「そう?でもアリスの目つき、最近違うもの」
「どんなんや?」
「片思いしてて、それを自覚できずにどうしていいか戸惑って
る女の子のような目」
「恣意的な解釈やな、随分」
「自覚した方が解決も早いわよ。手助けしてあげる」
手渡されたのは1枚の地図。
「今夜江神さんをこのホテルの部屋に呼び出してあるの。
一緒に過ごしてみて、確かめてみたら?」
「マリア…お前…?」
「あたしは江神さんにとって女の子以前に後輩。アリスに
とっても女の子以前に友達、だったよね?二人が上手く
いったら一度に気持ちの整理もできるし…。こっそりだけど、
祝福程度はしてあげるわ」
「……すまん」
只、項垂れる僕に、
「今夜8時。遅れずにね」
そう言って笑いかけたマリアの瞳は、少し濡れていた。
意を決して、約束のドアをノックする。
「どうぞ」
変わらない江神さんの声。激しく波打つ心臓を宥めながら、
部屋へ滑り込んだ。
「アリスか。多分お前が来るんや無いか、思ってた」
「最初、から?」
困ったような微笑で応えてくれる。
「マリアとお前、恋人言うより凸凹コンビやしな。お前の様
子が最近変なんとあいつからの予期せぬお誘いや。それ
を繋いで少し想像して見た」
「そうです、か…」
この期に及んで何を言うべきか判らない。まさか僕の方か
ら誘う訳にもいかないし、江神さんが本当にマリアの事を
好きだったとしたなら、僕は体のいい道化だ。彼女の所為
ではないにせよ、彼女にも、そして江神さんにも心を許せなく
なるだろう。
僕が沈黙を守って済むならば、守り通そう。
でも、そんな僕の決心を覆したのは当の江神さんだった。
「泳ぎに行った後、からやな」
核心を突かれて、沈黙するしかなくなる。
「その目を見てな、思い出した事あったんや。中坊ん時やった
かな。その時も結構褌、締めとったんや」
軽く目を瞑って、記憶を紡ぎだす。
「あれも泳ぎに行った時やったな。…3年の夏休みや。一泳ぎ
して休んどったら一緒に来てた近所の兄ちゃんと目が合うて
な…二人で藪に駆け込んで、お互いのしゃぶり合うた」
ギョッとして見返した僕に変わらぬ静かな微笑を返す。
「あれは不思議やったな。二人とも男が好きやった訳やない。
でもその一瞬は好きあっとったんやろ。その後の発展、何も
なかったからな」
「一度も?」
「一度も、や。どっちかが好きの気持ち強かったら続いてた
かも知れんな。…アリス?」
名前を改めて呼ばれて、この展開は…?
「お前、俺の事、好きか?」
「そういう意味で、ですか?」
「自覚が無いなら限定はせんでええ」
「好きや、っていう自覚だけやったら、YESです」
江神さんが、一歩近づく。
「なら、問題なさそうやな」
そして、唇が重なった。
キスだと自覚するまでに時間がかかった。只暖かくて。
自覚して逃げ出そうとしても、抱きしめられて無理だった。
「え、えええ江神さん?」
「お前、どっちがええ?」
「はあ?」
「俺に挿れられるんか俺に挿れるんか」
「俺、その方面の知識本でしか知らんのですけど。
それも男女の奴しか」
「知識の有る無しやなくて、お前の気持ちの問題や」
困ったように笑われる。
「江神さんの挿れたら痛そうやしなァ…。先ず服脱いで下さい。
それからやないと決心つかん」
「それもそうやな」
微笑みながら無造作に服を取り去ってゆく。最後に残ったの
は、やはり褌だった。
「お前も脱げや。何やったら脱がしたろうか?」
「子供やないんですよ!」
僕も下着一枚になる。青のブリーフ。トランクスは何か落ち着き
が無さそうで嫌だ。
「若いなー。我慢続きが丸判りや」
「染み出すもんはしゃあ無いでしょ。江神さんこそ、何だかんだ
言うてもやる気に満ち溢れてますやん」
「無意識の自覚か。…マリア、悪いことしたな」
理性の残っている内に、罪悪感の溜息を吐く。
「…挿れさせてください。初心者やから上手くいくか判らんけど」
「若葉マークはお互いや。まあ、俺、女の経験あるからそれ
応用しよか。リードしたるわ」
年長者の余裕を見せて微笑む。一寸憎らしくなってしまった。
「…ッ!…」
「えが…み…さん?」
「ええから、来い…や」
それでも躊躇している僕の上半身を、江神さんは荒々しく
抱き寄せて、口を吸った。
……この人の何処に、こんな荒々しさが隠れていたんだろう。
それとも、これは僕が相手だから?
互いの唾液が交じり合い、其れを美酒の様に貪る。江神さんの
両足が僕の腰を絡めとリ、突き入れろと急かしている。
「何時まで生殺しにすんねん?」
耳元に響く、何時もとは違う掠れた声。
「ホンマに?」
「アホ、今更やめれるかい!」
そして、再度促す両足のリズムに合わせて…。
「!」
一瞬の衝撃。そして、止め処無く湧き出す快感。
理性なんか無くして無我夢中のまま、お互いに貪って、
そしてフィニッシュ。額にあたる江神さんの肩の熱さが、
心地良かった。
「アリス」
「あ、重いですか?」
「いや、お前程度やったら平気やけどな。一寸抜けや」
言われるままに江神さんの体内から『自分』を抜く。
「お、流石にまだ元気やな」
「そら江神さんより若いし」
「言うてくれるな、おい。ええわ、ちょい風呂場行け」
「何ですん?」
「出す所に生で挿れたやろ?一応綺麗にはしたつもりやけど、
『お前』を洗っとかんとな」
本当は、それで終わっても良いと思っていた。この感情が
只の肉欲だったなら。
でも、違ったみたいだ。
どうしよう。何もかも、欲しくなってしまった。
この人の体だけじゃなくて、心も、未来も過去も、何もかも。
何を馬鹿な事を、と、もう一人の僕が嘲笑う。
勘違いしていないか?江神さんも男だぞ、と。
ああ、判ってるさ。たから今夜はこれでお終い。体を重ねて
みて、恋愛感情じゃないと判ったと言うお芝居をして、明日から
は又先輩後輩の毎日。それで上等だ。
辛いのはほんの暫く。時間だって、そんなに残酷じゃないだろうし。
「よっしゃ、これで綺麗になったな」
「すんません。何かずっと洗って貰って」
「気にすな。俺とお前の仲や無いか」
「どう言う仲ですのん?肉体関係のある先輩後輩?」
「ん、恋人同士」
さらりと言う江神さん。そして、表情を凍らせる僕。
「男同士ですやん」
「だから?」
「それに俺、江神さんの心なんか…」
「欲しいんやろ?確り顔に書いてあるわ」
「…そないなのっぺりした顔してません!」
彼の横をすり抜けて、ベッドに潜り込みたかった。
涙を見せてしまう前に。
でも、出来なかった。
腕を確り掴まれていたから。
そして、正面から抱きしめられる。
「お前、俺の決心を無碍にする気か?」
「決心?」
「この部屋にお前が入ってきた時から、半分決めとったんや。
『こいつに俺の人生遣ろう』って」
「それって…」
「照れ臭いから一度しか言わんぞ」
そして耳元で、
「好きや」
そして呆気にとられている僕を促す。
「純情な口ぶりして、又元気になってきたな?」
「だから言うていらわんとって下さいよ!」
「2度目やから、お互いもうちょい余裕もって感じれるやろ」
「……助平!」
「今の俺にとっては褒め言葉やな。で、欲しいんか?
それともお預けか?」
「…欲しいです」
「なら来いや」
「今度は、体だけや無くて」
「ああ、俺の気持ちも遣るわ。だから来い!」
そう、江神さんは確かに『思い』をくれた。でも…結構
『思い』を
受け止めるのは痛いんだな、と思う。
「江神さん、爪何時切ったんです?!痛いやないですか!」
「お前なァ……ピッチ上げて俺の脳味噌フッ飛ばした奴が何
ぬかしとんねん。抱きついとこうにも汗で肌が滑るから
しゃァ
無いやろ!」
で、お互いに顔を見合わせて、吹き出す。
確かに2度目のピッチはお互いかなり上がっていたと思う。
江神さんが喘ぎながら、そして叫ぶ様に僕の名を呼び、僕の
腰はそれに応える様に江神さんの奥へ奥へと突き進んで行く。
さっきまで何を悩んでいたんだか、と思う。
今はこの肌の触れ合いが、限りなく心地良い。仮令それが
汗に汚れた肌でも、それ以外の分泌物に汚れた肌でも、
彼が傍らに居るから。
そんな感慨を抱く僕の肌の上…特に後ろ辺りを這い回る、
江神さんの、指。
「江神、さん?」
「やっぱ俺かて雄やしな…あかんか?」
さっきの余裕綽々な雰囲気とは打って変わった純情さに、
思わず吹き出しそうになる。
「最初言いましたやん。江神さんのデカイからって」
「せやけどな、俺かて好きな奴の体は全部欲しいぞ?髪の毛
一本残さずに、や」
むきになって反論するその膨れ面…この人の中に隠れていた
子供っぽさが愛しくなる。
だから、
「痛くても俺、恨みませんから」
そう、これは肉欲なんて単純な感情じゃない。
独占欲の自乗。だから、余計始末に負えない。
うつ伏せになった僕の腰を持ち上げて、江神さんの指が
閉ざされた双丘の間を開く。そんな所を人に見られるなんて
…ああ、子供の頃に座薬を入れられた時は見られたっけ、と
妙に冷静に思い出したりして。
だから、不意に触れた熱く濡れた感触には吃驚した。
「江神さん…そんな…汚い…」
「んな事無いで。綺麗な色してるがな」
「や…ァ…」
江神さんの舌が閉ざされた僕の「門」を抉じ開ける。いや、
抉じ開けると言うよりも、溶かしてゆくと言った方が正確だ。
そして、忍び込んで内壁までも蕩かして行くその舌技に、
息があがってしまう。
「これやったら、まだ入り易いやろ。このままで行くか?」
「仰向け…江神さんの顔、見たい」
反される体。そして、僕から口付けの反撃。
「殆どお前の味やで?」
「ええですやん。交じり合って」
勢い任せの言葉じゃない。この人と交じり合えるなら、
それで良い。
そして、連結される体…江神さんが入って来る毎に、ミシミシと
音を立てる様に開かれてゆく、僕。
「これで、全部入ったな…判るか?」
「……俺も結構深いんですね…」
「ああ。それにきついわ」
「初めてですもん。……慣らして下さい。江神さんさえ良ければ」
「……俺無しで居れん様にしたるわ」
もう、言葉は要らなかった。後は昇り詰めるだけ…。
「あー、太陽が黄色い!年かな」
先に行く彼を見て、誇らしく思う。有栖川有栖の好きな人は
江神二郎だ、と。惜しむらくはそれ自体秘め事になってしまった、
と言う事だけど。
「アリス、一寸」
呼び寄せられて顔を近づける。
「…夜明けの牛丼でも、どうや?」
ロマンティックの欠片も…まあ、いいか。
(了)