「犀川先生。」
萌絵は部屋に入るなり話はじめた。
「昨日私、HPを見て回ってたんですよ。」
話していても顔が赤くなるのがわかる。
そう言うHPだったからだ。
「好きな小説のHPだったんですけど…すごかった
んですよ。ムク犬のような大学院生と猫みたいな男の
子が抱き合ってキスとかいろいろしてたりとか…」
そう、たしか「なんとかの闇鍋」とか言うページ
だった。
一方犀川は丁度珈琲を飲んでいるところだったようだ。
一頻り香りを楽しんだ後、萌絵に顔を向ける。
「感想は?」
「そうですね…嫌いではないような…って何言わせ
るんですか!!」
萌絵はこの手の本に疎かったが、結局全部読んで
しまったのだから何も言えない。
「ところでせっかく来てくれて悪いんだけど、僕は
出かけるよ。」
確かに机の上にカバンが用意されている。
お出かけ前のコーヒーも犀川の習慣なのだ。
「ちょっと喜多と待ち合わせててね。今日は
帰らないから、電話しても無駄だよ。」
犀川と喜多が二人でよく食事をしているのは
知っている。
しかし泊りがけでいくとなると…何処にいくのだろう?
萌絵が疑問を口にすると犀川は笑いながら答えた。
「さっき君が言ってたHPみたいなことを喜多と
しようと思ってね。」
「!!!」
…何てことを言うのだろう。
萌絵の頭は暴走寸前だ。
犀川と喜多がまさかそんな関係だっただなんて。
「じゃ、行ってくるよ。」
立ち上がり、犀川がドアに向かうが萌絵は何も
いえない。
唇がまるで錘になったかのようだ。
犀川がドアに手をかけたところでやっと一言だけ
口にすることができた。
「せ、先生が…そんな…」
そしてドアを開け、閉める瞬間、犀川はこう
言ったのだ。
「嘘だよ。ちょっと学会でね。」
ぱたん。
ドアが閉じる音が聞こえる。
(…先生…許せないわ…)
後日。
(何故だろう…?)
何日か前から犀川を見る学生の目が変だ。
好奇心と言うか、珍しげと言うか…そんな目で
ジロジロ見られているような気がする。
気のせいではないだろう。
昔からこの手の視線には敏感なのだ。
そんなことを考えつつ犀川が院生室に入ると、
そこでは浜中達が談笑をしていた。
「!!!!!」
その浜中の手の中にあったものは…
『犀川先生と喜多先生のイケナイ関係
〜二人の15年間〜 by西之園萌絵』
「…浜中君、これは一体?」
怒りを堪える。
悪いのは西之園君だ…浜中君ではない…。
(↑自己暗示)
「あはは、同人誌ですよ、知らないんですか?」
「同人誌?」
犀川の知らない言葉だ。
「んーと、手製出版ってトコロですかねぇ…この
本大人気なんですよ。校内だけで600部くらい
出回ってるんじゃないかな…挿絵の牧野さんも
上手いんです、その…絶妙なシーンのイラストとか。
西之園さんの小説の上手さももちろんあります
けど。」
絶妙のシーン…やはりそう言う本なのだろう。
この間の報復としては十分すぎるくらいだ。
ふと横を見るとそこには国枝までいるではないか。
「国枝君…知ってたのかい?」
国枝はいつもクールだ。
怒りに震える犀川の質問にもビクともしない。
「ええ、内容は他愛無いですが文章力は中々の
ものだと思います」
そういう問題ではない。
西之園君は何処にいるのだろう?
「西之園さんなら犀川先生の部屋でコーヒー
飲んでましたけど…この部屋ってコーヒーメーカー
無いんで。」
それはいいことを聞いた。
ズカズカ。
犀川は急いで自分の部屋へ向かう。
目には「怒」の文字が浮んでいることうけあいだ。
「西之園君!!!!」
犀川が部屋に入ると萌絵は思わずコーヒーを
落とすかの勢いで驚いた。
当然だ。
「君って人はなんてことをしてくれ…」
「ちょっと待ってください、ちゃんと読みまし
た?」
萌絵は犀川の言葉を遮って、本の最後のページ
を開いた。
そこに書かれていたのは…
『この文章は全てフィクションです』
………
犀川の死体だけが残った。